えのきさんの痴漢日記 -7ページ目

初amazon 「奇跡」もいいけども「待ちわびる」恋もステキ。




アーティスト: 中塚武, clementine
タイトル: JOY

インターネットを使った会社を散々転々としているのに、
ネットショッピングを主にやっている会社に勤めているのにも関わらず、
実はあまりネットショッピングをしたことがない。
ついこの間、クレジットカードのポイントが溜まったことをきかっけにBK1を使用したくらいで、実は本は手にとって買ったり、CDもジャケ買いなどという出会う「奇跡」を常に求めている。

しかし、今回資生堂のピエヌ(毎シーズンこのCMのクオリティの高さと美人っぷりには唖然としてしまう)のCM音楽をきっかけに上記のCDをamazonで購入。
この類のCDはどうせ近所のレコード屋に置いている訳もないし、渋谷のHMVまで足を運ぶのも難儀だ。ということで、インターネットショッピング。

そこで気づいた感動。
「待つ」ことも結構楽しいものなんだ、と実感。
僕は元来せっかちなタイプなので、即返答を求めてしまう。
新しいものを買うと、それは顕著に出てしまい、
帰りの電車の中なんか、歓びというものには程遠い苛立ちを覚える。
しかし、自宅に届くまで「待つ」ことを選択した。
こんなに焦らされる気分になったのは、かなり久しぶり。
昨日は休日出勤で会社にいて、遅くに帰ってきたのだけども、
家に帰ってきてこれが届いたのを見たとき、何もかもが許されてしまう歓びを感じた。

そして、さらに焦らして今朝目を覚まして、今この音楽を聴いている。
音楽はとてもキャッチーで小悪魔的。
でも、さわやかさとうれしさを持ち合わせたトラックが多い。
まさに、天気のいい土曜日の昼に聞くにはもってこいのサウンド。
普段はヘッドホンで音楽を楽しんでいるけども、布団を干して、万年ベッドのソファベッドをソファにして、部屋を太陽の光でできるだけ明るくして、ステレオのボリュームを上げて聞いている。
待ちわびるってことも、案外いいかもしれない。それは偶然の感動とはちがう、マッチングする歓びを持っている。

あとは、あったかいコーヒーを飲むのが最高なのだけども、
生憎僕はコーヒーが苦手なので、思いっきり麦茶。
おう、冬でも麦茶ガンガンですよ!

フットサル夫

金曜遅くまで仕事して、遅くまで飲んで、
朝早く友人に誘われるまま、世田谷でフットサル。
友人の会社の仲間が作るチーム、その名も「buono」というチーム。
ボォーノッ!おいしい、という意味なのだけども
「相手チームにはおいしいチームと思われている」という
かわいいサッカーチームであった。
年齢も格好もぜんぜん違う仲間たちは、サッカーを必死にやる!
というよりも、仲間みんなで有意義な休日を過ごしているという感じ。
天気も気分もよく、とても素敵なホリデー。

ちなみに僕は3分も持たない。
もちろん、走れない。
ボールも的確に飛ばせない。
そして、そもそもサッカーのルールもわからない。

スポーツをする休日、けっこういいかもしれない。

そして、最後に試合中に撮った友人を合成。
なんか、こう見るとカッコいいけども、
こいつも結構動けなかった。
あぁ、25っておっさんだな。

対岸の彼女  -女とアメリカは似ている-



著者: 角田 光代
タイトル: 対岸の彼女

結局、僕は女のことなんて何もわからない。
理解をしようとしてないし、到底理解の出来る代物じゃない。
女という生き物は僕とは別の世界で生成されていて、成長していく。
長くつきあいのある女友達であっても「14歳の彼女」と「25歳の彼女」は全くの別人で、どこかで交換されている気がする。
きっとどこかで販売されているんだ、交換カートリッジのような肉体が。
男は常に何かをひきずりながら、前日の延長戦として生き続けているけども、女は毎日生まれ変わる。
だから、したたかだし、可憐なんだ。

って、女を理解できない人間がこの小説を読む。
対照的な女2人が、変な距離感を持ちながら進めていくお話。
はっきり言おう。僕は女の小説は好きではない。
それはひどくセンチメンタルで会話で進める安易なストーリー。
そのくせ書いている内容はひどく内向的で小難しい言い回しを好む。
そして最終的にはすぐ泣く。
「泣きそうなくらい○○」とか平気で言う。
どうしようもない。
今回の角田光代に関してもそう。
しかも、過去の記憶がぐずぐず。
陰湿な内容だから、閉塞感で息が詰まる。
最後も別に期待していないハッピーエンドへごり押し。
男だからか、それとも女への理解する努力がないのだろうか。

ただ、この小説を読んでいてあることに気づいた。
女とアメリカは似ている。
常に敵を作りだし、それが対象から除外されれば、次の敵を作り出す。
常に想定される敵を作っては、それと戦うために自分を鍛える。仲間を作る。
そして必ず「正義」をふりかざす。
女との口論はかならず正義が出る、それが出てしまってはおしまいだ。
しかも我流の正義。そんな暴力的な正義がある。

まぁ、つまりは久しぶりに面白くなかった小説。
女のことなんて、理解できない。したくない。

デジカメで遊ぶ暇つぶし、プライスレス。

特に困るのが休日の使い方。
特別どこかにいくわけでもないので、友達とお茶を飲んでみたり。
スタバで甘いコーヒーを飲んだり、
読みかけの雑誌見てみたり、
クリアしたゲームをもう一度してみたり。

そんな際にmixiのコミュニティを見て触発され、作ってみたり。
ちょっと楽しいかも。
そんなわけで、デジカメって楽しいわぁ。

冬の運動会 -所詮、家族だ。分かり合える訳がない-



著者: 向田 邦子
タイトル: 冬の運動会

先日、友人と飲んでいた時のこと。
彼女は親と離れて暮らしており、
今は兄弟だけで住む広すぎる家を守っている。とても頼もしい女性。
彼女の両親は、子供が年頃の女性だからなのだろうか、
彼女の行く先のことを案じて様々な提案をする。
彼女の意思とは反した形で。

先日、友人と飲んでいた時のこと。
彼の進路はもうすでに決まっていた。
それは茨の道かもしれないし、いい年をした青年には大胆な決断だった。
しかし、彼の両親はまだそれを受け入れられない。
ある朝、彼の手元にある一通の置手紙が置いてあった。
彼が欲しがっている言葉とは別の言葉が載せられていた。

先日、恋人と電話をしていた時のこと。
彼女もまた、自分を軌道修正をするためにあるアクションを起こした。
それはとても勇気のいる行為。彼女はとても苦しんだ。
しかし、彼女の父はそれを認めなかった。
彼女が求めていた笑顔を与えないまま。

そんな訳で、僕の周辺の親子関係はすばらしい具合にねじれている。
僕の家も御多分に漏れず、ねじれきっている。
よく「親子の絆」とか「家族だから」なんて言う輩もいるけども、
本当に家族の絆なんて繋がるものなのか、疑問をもってしまう。
明るい家族計画、なんて計画どおりいかない。


そんな折に正月のドラマの影響で読んだ向田作品。
そういえば向田作品の家族というのは、
かつて「日本の正しい家族」なんて表されていたのだけども、本当にそうなのだろうか?
いや、はっきり言おう。完全にねじれているのだ。向田作品の家族は。
その上で断言してしまう。
「だから向田邦子の描く家族は、正しい」のだと。

親から認めて欲しい子供、子に素直に愛情を表せない父親。
そして、家族を守ろうとする名目で、土足でどこまで踏み込んでいく母親。
家族だからこそ、対立があり、遠慮も配慮もない我の通しあいがある。
だから、居心地が悪くなる。わかった振りなんかしても、所詮は家族だ。
だから、家族は対立し、ねじれ、関係が強張っていく。
「寺内貫太郎一家」だってそう。毎日喧嘩するのはその妥協を知らないから。
だから親父と息子は骨が折れるほど、本気の喧嘩をするのだ。
今回の「冬の運動会」は、それがスタイリッシュな対立になっただけ。拳で物事を語らないだけに過ぎない。
親父は息子を押し付け、息子は親父を呪い殺そうとするのだ。それでいい。

現代の「友達みたいな家族」というのが日本のファミリーのお手本と思ったら大間違いだ。家族だからこそ、分かり合えない。理解をしようとしないのだ。

だから、子は親を踏み越えて行く。まるで古ぼけた踏み台のように。
そして、親は子をそれを許さない。最初の障害であり、最後の砦であるから。

全国の友達ファミリーに告ぐ。お前らは全てニセモノだ。
俺の友人たちに告ぐ。それでいい、いつかぎゃふんと言わせてやれ。

わたくし、嫁ぎます。

そんな訳で、微妙に長い正月休みも今日でおしまい。
明日からいよいよ仕事が始まります。
恵比寿の通販サイトを運営している会社で、
商品を紹介するライターのお仕事です。
オレには全く縁遠いと考えていた「おされタウン」恵比寿。
恵比寿って、ユニクロ禁止令とか出ていませんか?
なんか、一日カフェに行かないと罰金とられるとか。
怖いわぁ、恵比寿。

しかし、何度も転職しているけども、毎度思うことはある。

何度も経験していることであるけども、
この雰囲気がどうにも苦手だ。
あぁ、明日からちゃんと頑張れるのか、
あぁ、明日から仕事仲間とうまくいくのか、
あぁ、明日から深酒しないで帰れるのか、
なんて思ってしまうわけです。

結局いつまでたっても、小学校の入学式と同じ気分を抱えている。
まだまだ成長してないのかね、オレ。

ターミナル  世の中でこれほど「翻弄」される人間もいない

人は常に何か大きな力に操作されているかもしれない。
小さい頃にそんなことを思ったことがある。
まるで自分がゲームの「ポピュラス」のように、
神様みたいな大きなチカラが僕らのようなプレイヤーを操作しているような。
そこまで妄想しないとしても「翻弄」ってされている気がする。
自分の意志とは反した、到底抗うことの出来ないチカラもあるような気がする。

しかし、このトム・ハンクスほど翻弄されている人間はいない。
「ビッグ」では変なまじないのせいで子供になっちゃうし。
「フィラデルフィア」ではゲイを受け入れられない社会にいぢめられ、
「フォレストガンプ」ではその半生をアメリカに弄ばれ、
「プライベートライアン」に至っては他人の家族の安否のせいで命を落としてしまう。
そんな「ミスター・翻弄男」のトムハンクス。
この「ターミナル」という作品はその真骨頂。
母国・アメリカ・女などに、まぁいろんなものに翻弄されている。
そして何といっても、この映画のキーワードの「約束」にしてもそう。
彼の意志は、その約束を守るために存在している訳で、様々な現象に右往左往されている。その中でも自分の雰囲気を十分に出す男。すばらしいナイスガイ。
まぁ、こんな男はなかなかいたもんじゃない。

と、思ったのだけども、日本にそれを越える男がいた。
そう「寅さん」である。
この人のほうが二枚も三枚も上手である。

トム君、まだまだ先輩がいたね。

スウィングガールズ 挫折するから、それなりに成長する。




タイトル: スウィングガールズ スタンダード・エディション

眠れないので、以前映画をみた作品を紹介。
「スウィング・ガールズ」でございます。
前作の「ウォーターボーイズ」とひけをとらない爽快感。
134%エンターテイメント。社会性もメッセージ性もこの映画の前ではかすんでしまう。
しかし、ちょっと考える部分があるっていえばある。
この映画、みんなことごとく挫折している。
竹中直人扮する先生は、ジャズも恋も挫折するし、
最初のシーンに出てくる高校球児は地区予選であの夏に挫折する。
主人公なんか、飽きっぽいもんだから何でもかんでも挫折しまくり。

しかし、みんな一丸となって成功しちゃうストーリー。
ウォーターボーイズもそうなんだけども、挫折から成功に持ち込むパワーってすごい。しかもこの映画で思うのは、彼らがその努力の発表をするときには必ず笑顔ってこと。挫折からくる不安とかもあるけども、人は必ずその分成長しているのね、なんて感心してしまう。

挫折というのは、向こう臑を蹴られたような痛さを覚えるけども、それは痣になって自分のカラダに刻まれていく。不安を覚えるからこそ、真剣になれることもあるはず。誰もが生まれてからスーパーな人間ではない。
この映画を見終わった後の「爽快さ」というのは、ほんの少しだけ痛みを分かち合う気持ちが地盤にあるから、より一層の気持ちよさがあるのかもしれない。

速報!

オレ流、臨時ニュース!

仕事、決まったダワヨ。

今度は某ネット企業で某ライティングの仕事です。

って、こんだけぼかすと以前もその前も同じ仕事っぽいけどもね。

そんな訳で関係者各位のみなさま、ご迷惑かけました。
これから、身を引き締めちゃって頑張っていきまっする。

だから、オレに酒の一杯でもごちそうでもしたほうがいいと思います。

以上、オレ流臨時ニュースでした。

飲んでいるから言う訳じゃぁねぇが。

夜中。
いや、明け方の五時。
この街に住んでいる全ての生き物は休んでいる。
世界が活動をするのには早すぎる。
眠るにしては遅すぎる。
僕はその時間をノートパソコン一台で戦っている。
この時間を支えているとしたら、僕だ。
僕は今、たった一人でこの時間を支えている。
たった一人の無力な男が、君らの安眠を守っている。

かつて、つきあっていた女性と口論をしたことがある。
大人しい女性で、僕は彼女と別れるまでこの口論の他、したことがない。
その口論の問題は「人は誰に日記を綴るのだろうか」という話だった。
僕は読者のいない文章など存在しないと口を尖らせて言った。
彼女は自分に聞かせるべき文章があると言った。
そして、僕らはソファに座って延々と口論を行った。
今にして、思うことがある。
「彼女の考えた文章は、お体裁を考えない純粋な文章」だった、ということを。

だから、僕はこの時間に考える。
世の中の全てが終わりに向けてまとめようとしている時間に。
世の中の全てが始まりに向けてまだ固形化していない時間に。
しかし、僕は無力だ。
時間を支えることで精一杯で、その時間を解決することを知らない。
僕は全ての文章に意味を持たせたい。文字の孤児をなくしたい。
しかし、僕はその作業に必死になっていて、その先の時代を作れない。

だから、思うのかもしれない。
時には、自分のための文章も必要なのかもしれない。
時には、誰かひとりのために語るべきストーリーが必要なのだと。

それでも僕は書き続ける。
君やあなたや、オマエに伝えるべき話を。
自分のためにも書き続けるべきストーリーを。
それができあがったとき、僕は誰かに語るのかを感じればいい。
もう書き始めてしまったのだ。誰のためなんか、その後でもいいかもしれない。