えのきさんの痴漢日記 -11ページ目
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無力。でも希望があればそれでいい。

仕事で立て続けにミスを起こした。
この週末はずっとそんな訳で落ち込んでいる。もっと注意深く(あら、村上春樹の常套文句)仕事を行えば起こらないミスである。
僕は落ち込みやすいタイプの人間なので、飲んで落ち込み、二日酔いで落ち込み、日曜の磯野貴理子のハイテンションに落ち込む(キミの怒りは理不尽だよ)。
友人にでも会ってボーリングでもすればいいかもしれない。憂さ晴らしにストライクを出せば、どれだけ気持ちいいのだろうか。
いや、ゲームセンターでUFOキャッチャーで無害な愛想のあるキャラクターをとるのも悪くない。
しかし、常にストライクを出せるわけでなく、無害な愛想は部屋に常に置けない。

そんな訳でこの映画を見る。
「マグノリア」
たまたま、この文章を書く際の画像を探していたときに見たレビューがひどい。
「この映画の意味がわからない」「カエルの意味は?」
そうで。
こういう人たちって全てに意味を持たせて生きているのだろうか。
トイレに行く意味。
食事をする意味。
人を好きになる意味。
とくに最後なんて、果たして明確な意味があるのだろうか。あったら教えて欲しい。
きっとこういう「意味」という部分ばかり探すのであれば、
もっと理不尽な「水戸黄門」で突っ込んで欲しい。勧善懲悪に意味はあるのか。印籠の意味に。

閑話休題。

この映画を見ていて思うのは、希望。
長い映画だけども、絶望を抱えるそれぞれのストーリーを見て欲しい。
チンコとか、シャブとかどーしようもない単語の連発。
離ればなれで、距離を埋められない不器用な人間。
駄目人間ばかりである。
実に情けない、どうしようもない映画。

しかし、最後にあるのは希望のひとつかみ。ほんの小さな希望。
それだけ見えれば十分。この映画は。
大きな勝利もない、世界の平和も祈れない。激しい心を揺さぶるラブもない。
ただ、ほんのちょっとの希望が見える。どん底だから明るく見える未来。
だから、思う。生きていればそれでいい。
だからひたむきに生きていきたい。駄目人間でも、酔っぱらいでも。
いつかはカエルが降るアクシデントをココロの隅っこで期待しながら。

と思う映画で自分を少しだけ奮い立たせる。
無力だけども、希望をもって頑張ろう。

そんな効果もあるのに、この映画は本当に意味がないのだろうか?

女の喜びを知ってしまいました。

女性のオーガズムは男性のそれに比べて数倍、数十倍と言う。
以前から、僕は女性にかなりの嫉妬をしている。
それは性的な問題から、そうじゃない問題まで。
女性も面倒な事が(「ことが」が「古都が」になってしまいました。おう!俺は古都ひかるが大好きだ!)多いのは承知なのだけども、男女平等というよりも「女性上位時代」と言っても過言じゃない。
ということで、試してみました
女の喜び(←クリック!)ってやつを。

っていうかよ、何が
イエース♪だよ!
無駄な期待しちゃったじゃん!!
全然普通のシャンプーと変わりません。
しかも、男子禁制なんか書いてあったけども、普通に使っちゃったし。
特別すごくいいにおいって訳じゃないし。鼻詰まってるのか?
スメルとかわかんねぇよ。
俺にはトニック「男」で十分ッス。押忍!

いや、最も問題なのはそれを使っている「女の快楽を知る女」というのが、
あけみ(55)ってこと。
助けてくださーい!!!(大ヒット映画・小説より)
さぁて、ビール飲んだし、寝るかな。

うそつきのススメ

先日、ある人と会話をしていたときのこと。
彼女は「大人って嘘をつくでしょ?」と言う。
彼女は大学も卒業をして、もう立派な大人である。年金も払う年齢である。
僕は、もうキミもいい大人なんだから分別をつけなさい、と諭す。
しかし彼女は僕に言う。酔っていたからだろうか。
「んじゃぁ、大人って嘘をつかなくて生きていけるんですか?」
僕は返事に困る。
僕の嘘は稚拙で、いつもその場しのぎ。3分も後にバレてしまう嘘を平気でつくのだ。
そんな自分がほとほと嫌になる。こんな本のように嘘がつければ、と。

というような前置きで思い出した本。「どこかにいってしまったものたち」この本はアマゾンの古本とかで買わないように。センス疑われます。

日本には本当に珍しい商店があって、三代続く珍品専門の骨董屋であるクラフト・エヴィング商会。オホホ商会よりもチャーミングで、悪役商会よりもエンターテイメント(蛇足的一文)
人は上手に嘘を付かれれば怒りよりも、笑いがこみ上げてくる。
しかし、その上の感情を知っているだろうか?
それは「感動」なのである。嘘は突き詰めるとメルヘンであって、小説になるのである。嘘は作品なる。
最後に見せる種明かしは、最後に目眩を覚える。現実に戻される強引な力が働く。それが目眩になる。まるでほろ酔いのときの心地よさがそこにはある。

嘘を付き損ねると胸に刺さる。もっと胸を躍らせるような嘘をつけなかったものか。
もっと素敵に大人になれなかったのか、という後悔を。

ちなみに、これよく友人の誕生日プレゼントにあげるんです。
結構喜んでくれる一品。実はこっそりうそつきを増やしたい、そんな方向から国家を転覆させるエロリスト(オブ・ジョイトイ)な俺なのです。

過剰な問題。

外来語32語の言い換え提案 国語研が第3回最終報告

官庁やマスコミで多用されている外来語の日本語への言い換えを提案している国立国語研究所の外来語委員会(委員長・甲斐睦朗同研究所長)は8日、第3回最終報告としてスキルを「技能」、マンパワーを「人的資源」とするなど32語の言い換え例を公表した。

実にクレイジーなニュース(あえて言ってみる)。
ちなみにその32語ってこれね。
俺もわかんねぇけどね!

言語というのは常に進化をして、形を留めることがない。だから言葉は面白いのに。
いまさらエレベーターを昇降機とも言い出すのだろうか?
恐るべし、国語研。本当に研究してんのか?

その国語研の陰謀で「波田ニューヨーク」が「波田陽区」に変わったのは有名な話。
残念!


カタカナ言葉を理解できない、ってのは理解しようとしない現れのような気がする。
実際、仕事で僕は「スキル」という言葉で訴求するが「技能」なんて言葉では、相手を訴求できない。

意外とカタカナ言葉が使いやすいときがある。それをそろそろ認めましょう。
国語辞書だけが日本語じゃないだぜ、朋輩(ニガー)。
って、これはカタカナとかその前に日本語としてナシですよ、先輩。

全知全能の無能の人。

ということで、こっちに本のお話を移動。
一ヶ月ぶり以上の放置の末、こっそりこっちに移動しました。

そんな訳で第一回目は作家生活25年(そんなの演歌歌手とマツケンしか聞いたことねぇよ)の村上春樹の最新作「アフターダーク」を。
一言で言えば「失ってしまった全能」という印象。
かつては何でも出来たはず、何でも出来るはずの人の話。
でも、人は何も出来ない。全能であったけども、無能。
それがこの作品で感じる。

かつてないスケールの大きさから始まる「私たち」がこの物語の主人公。
勘違いしてはいけない、この主人公は姉を失いかけた少女ではない。
全ての現象をフォーカスする「わたしたち」なのである。
かつて全ての能力を持っていたのであろう「私たち」
しかし「私たち」は自由に視点を動かすことは出来るけども、
決して何も、何も出来ない。大声で叫んだとしてもその声は声にならず、
「私たち」の慈悲は、無駄な愛情にあふれている。無能な人なのだ。
「私たち」は常に何かを失った人にフォーカスをする。
それは仲間を捜すように。そして見つけた仲間に同情にも似た哀れみと
期待をする。彼らが小さな幸せを探すように祈り、そして同時に妬む。
何かから逃げるラブホテルのバイト、システマティックに仕事をこなせる
技術があるのにその衝動を消せないSE、美しさのほか何も説明のされない姉。
プロレスラーから転落をしていく、女。
そして、何かをこれから得ようとしていく少女・少年。本当に何かを得たのか?
だから「私たち」は全てを見ない。朝が明ける、その結果を見ようとしないのだ。
村上春樹の作品は年齢を増すごとキュートになっていく。
しかし、その作品数は増すごとに何か大きなモノを失わせる。
具体性のない、何か。
別にセンチメンタルになる必要はない。人は老いれば何かを失う。
何かを得ようと思えば大間違い。確実に何かをすり減らしている。
「私たち」でない、私たちはそのスリ減らしたものを認めることが命題なんだ。


ってことで、たまにはまじめに本の感想。
これから、雑誌・CD・本・テレビなどなーんでもやるんでよろしく。

どうも。

ライブドアも嫌いじゃないけど、どうにも忙しいライブドア。
ちょっと見るのにも疲れてしまいました。
そんなわけで、比較的簡単でかつ「アメーバ」のキャラクターがかわいかったので移転してみることにしました。
とりあえずは、使い勝手の実験。
んでも、アマゾンないのはちょっと不便かなぁ。
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