冬の運動会 -所詮、家族だ。分かり合える訳がない- | えのきさんの痴漢日記

冬の運動会 -所詮、家族だ。分かり合える訳がない-



著者: 向田 邦子
タイトル: 冬の運動会

先日、友人と飲んでいた時のこと。
彼女は親と離れて暮らしており、
今は兄弟だけで住む広すぎる家を守っている。とても頼もしい女性。
彼女の両親は、子供が年頃の女性だからなのだろうか、
彼女の行く先のことを案じて様々な提案をする。
彼女の意思とは反した形で。

先日、友人と飲んでいた時のこと。
彼の進路はもうすでに決まっていた。
それは茨の道かもしれないし、いい年をした青年には大胆な決断だった。
しかし、彼の両親はまだそれを受け入れられない。
ある朝、彼の手元にある一通の置手紙が置いてあった。
彼が欲しがっている言葉とは別の言葉が載せられていた。

先日、恋人と電話をしていた時のこと。
彼女もまた、自分を軌道修正をするためにあるアクションを起こした。
それはとても勇気のいる行為。彼女はとても苦しんだ。
しかし、彼女の父はそれを認めなかった。
彼女が求めていた笑顔を与えないまま。

そんな訳で、僕の周辺の親子関係はすばらしい具合にねじれている。
僕の家も御多分に漏れず、ねじれきっている。
よく「親子の絆」とか「家族だから」なんて言う輩もいるけども、
本当に家族の絆なんて繋がるものなのか、疑問をもってしまう。
明るい家族計画、なんて計画どおりいかない。


そんな折に正月のドラマの影響で読んだ向田作品。
そういえば向田作品の家族というのは、
かつて「日本の正しい家族」なんて表されていたのだけども、本当にそうなのだろうか?
いや、はっきり言おう。完全にねじれているのだ。向田作品の家族は。
その上で断言してしまう。
「だから向田邦子の描く家族は、正しい」のだと。

親から認めて欲しい子供、子に素直に愛情を表せない父親。
そして、家族を守ろうとする名目で、土足でどこまで踏み込んでいく母親。
家族だからこそ、対立があり、遠慮も配慮もない我の通しあいがある。
だから、居心地が悪くなる。わかった振りなんかしても、所詮は家族だ。
だから、家族は対立し、ねじれ、関係が強張っていく。
「寺内貫太郎一家」だってそう。毎日喧嘩するのはその妥協を知らないから。
だから親父と息子は骨が折れるほど、本気の喧嘩をするのだ。
今回の「冬の運動会」は、それがスタイリッシュな対立になっただけ。拳で物事を語らないだけに過ぎない。
親父は息子を押し付け、息子は親父を呪い殺そうとするのだ。それでいい。

現代の「友達みたいな家族」というのが日本のファミリーのお手本と思ったら大間違いだ。家族だからこそ、分かり合えない。理解をしようとしないのだ。

だから、子は親を踏み越えて行く。まるで古ぼけた踏み台のように。
そして、親は子をそれを許さない。最初の障害であり、最後の砦であるから。

全国の友達ファミリーに告ぐ。お前らは全てニセモノだ。
俺の友人たちに告ぐ。それでいい、いつかぎゃふんと言わせてやれ。