全知全能の無能の人。 | えのきさんの痴漢日記

全知全能の無能の人。

ということで、こっちに本のお話を移動。
一ヶ月ぶり以上の放置の末、こっそりこっちに移動しました。

そんな訳で第一回目は作家生活25年(そんなの演歌歌手とマツケンしか聞いたことねぇよ)の村上春樹の最新作「アフターダーク」を。
一言で言えば「失ってしまった全能」という印象。
かつては何でも出来たはず、何でも出来るはずの人の話。
でも、人は何も出来ない。全能であったけども、無能。
それがこの作品で感じる。

かつてないスケールの大きさから始まる「私たち」がこの物語の主人公。
勘違いしてはいけない、この主人公は姉を失いかけた少女ではない。
全ての現象をフォーカスする「わたしたち」なのである。
かつて全ての能力を持っていたのであろう「私たち」
しかし「私たち」は自由に視点を動かすことは出来るけども、
決して何も、何も出来ない。大声で叫んだとしてもその声は声にならず、
「私たち」の慈悲は、無駄な愛情にあふれている。無能な人なのだ。
「私たち」は常に何かを失った人にフォーカスをする。
それは仲間を捜すように。そして見つけた仲間に同情にも似た哀れみと
期待をする。彼らが小さな幸せを探すように祈り、そして同時に妬む。
何かから逃げるラブホテルのバイト、システマティックに仕事をこなせる
技術があるのにその衝動を消せないSE、美しさのほか何も説明のされない姉。
プロレスラーから転落をしていく、女。
そして、何かをこれから得ようとしていく少女・少年。本当に何かを得たのか?
だから「私たち」は全てを見ない。朝が明ける、その結果を見ようとしないのだ。
村上春樹の作品は年齢を増すごとキュートになっていく。
しかし、その作品数は増すごとに何か大きなモノを失わせる。
具体性のない、何か。
別にセンチメンタルになる必要はない。人は老いれば何かを失う。
何かを得ようと思えば大間違い。確実に何かをすり減らしている。
「私たち」でない、私たちはそのスリ減らしたものを認めることが命題なんだ。


ってことで、たまにはまじめに本の感想。
これから、雑誌・CD・本・テレビなどなーんでもやるんでよろしく。