無力。でも希望があればそれでいい。 | えのきさんの痴漢日記

無力。でも希望があればそれでいい。

仕事で立て続けにミスを起こした。
この週末はずっとそんな訳で落ち込んでいる。もっと注意深く(あら、村上春樹の常套文句)仕事を行えば起こらないミスである。
僕は落ち込みやすいタイプの人間なので、飲んで落ち込み、二日酔いで落ち込み、日曜の磯野貴理子のハイテンションに落ち込む(キミの怒りは理不尽だよ)。
友人にでも会ってボーリングでもすればいいかもしれない。憂さ晴らしにストライクを出せば、どれだけ気持ちいいのだろうか。
いや、ゲームセンターでUFOキャッチャーで無害な愛想のあるキャラクターをとるのも悪くない。
しかし、常にストライクを出せるわけでなく、無害な愛想は部屋に常に置けない。

そんな訳でこの映画を見る。
「マグノリア」
たまたま、この文章を書く際の画像を探していたときに見たレビューがひどい。
「この映画の意味がわからない」「カエルの意味は?」
そうで。
こういう人たちって全てに意味を持たせて生きているのだろうか。
トイレに行く意味。
食事をする意味。
人を好きになる意味。
とくに最後なんて、果たして明確な意味があるのだろうか。あったら教えて欲しい。
きっとこういう「意味」という部分ばかり探すのであれば、
もっと理不尽な「水戸黄門」で突っ込んで欲しい。勧善懲悪に意味はあるのか。印籠の意味に。

閑話休題。

この映画を見ていて思うのは、希望。
長い映画だけども、絶望を抱えるそれぞれのストーリーを見て欲しい。
チンコとか、シャブとかどーしようもない単語の連発。
離ればなれで、距離を埋められない不器用な人間。
駄目人間ばかりである。
実に情けない、どうしようもない映画。

しかし、最後にあるのは希望のひとつかみ。ほんの小さな希望。
それだけ見えれば十分。この映画は。
大きな勝利もない、世界の平和も祈れない。激しい心を揺さぶるラブもない。
ただ、ほんのちょっとの希望が見える。どん底だから明るく見える未来。
だから、思う。生きていればそれでいい。
だからひたむきに生きていきたい。駄目人間でも、酔っぱらいでも。
いつかはカエルが降るアクシデントをココロの隅っこで期待しながら。

と思う映画で自分を少しだけ奮い立たせる。
無力だけども、希望をもって頑張ろう。

そんな効果もあるのに、この映画は本当に意味がないのだろうか?