セックスボランティア ボランティアという言葉の意味
本はずんずん読んでいるのですが、一向にブログに反映しない不届きものです。
どうもこんにちは、痴漢です。
実は最近、ノンフィクションばかり読んでいて、
どうも小説ってものから離れていた一ヶ月でございました。
最初はどうもノンフィクションってのは難しくて、
笑いも感動もないんじゃないか、と相変わらずの食わず嫌いだったのですが、
佐野眞一の本を読み出したら止まらない状況に。
そんな訳で、遅ればせながらで申し訳ないのですが、
- 著者: 河合 香織
- タイトル: セックスボランティア
を読んだわけでございます。
僕の周りの障害者率っていうのは結構高くて、ここ数年障害者に対する意識が随分変わってきた。
常に僕らの周りには、いつ自分がそうなってしまうか、という危険性が孕んでいて対等に生きているし、
余計な保護や思想を植え付けるのは、大概が気のふれた健常者の場合が多い。
彼らは普通の人間であって「天使」や「神がかり」ではない。
それ以上のそれ以下でもない「人間」であるわけだ。
そういう意味では性欲に対してアグレッシブであっても何ら問題はない。
オトコであって、オンナである。性欲という感情が剥き出しになってもおかしくはない。
しかし、なんだ。
「セックス」を「介助」するという発想がどうにも苦手なのである。
本来、性欲を満たすためには何らかの勝ち取るアクションを起こさなくてはいけない。
本書で出てくる無償のセックスパートナーというボランティアには、どうも理解が出来ない。
たとえば、ソープランドまで連れて行く介助者がいるとする。これは僕の中は理解が出来る。
しかし「セックスをする」という行為は果たしてボランティアなのか?福祉なのか?
どこかで岩崎宏美の曲(聖母たちのララバイ)でも流れているんじゃないか、なんて疑問に思う。
かと言って「セックスは愛だ!ラブアンドピース!」なんて言う気にもならない。
障害者において「勝ち取る」という行為を奪うボランティアの存在は、果たして何だろうか?
そこに愛があるとは言い難い。僕の何か理解のできない理由や衝動に突き動かされているだけかもしれない。
しかし、この本を読んでいると思うのは、彼ら障害者は自分で「勝ち取っている」人間が多い。
80超えて酸素ボンベで命がけになりながら、ソープランドに勤しむ老人。
旦那と失禁しながらでも、その行為を求めようとする障害者の女性。
どれも命がけで、一生懸命である。汚らしいと言えばそれまでだが、それが「勝ち取った」成果なのである。
「勝ち取る」。それは金で勝ち取っても、言葉巧みに勝ち取っても構わない。
しかし、その姿を見ていると周りの健常者があまりにもバカらしく見えてくる。
本当のボランティアとは一体何なのか。また理解ができなくなってきた。