いらない喧嘩売ります | えのきさんの痴漢日記

いらない喧嘩売ります

世間は思いっきりゴールデンウィーク。
俺、思いっきり職場。
そんなゴールデンウィークをどうお過ごしでしょうか?

ということで、外出が多い今の時期を狙って
勝手に喧嘩を売らせて頂きます。



先週起きたJR西日本の脱線事故。
JR史上最悪の死者107人という痛ましい事故である。
もとより想像力の乏しい我々(自分だけじゃない、お前等もだ)にとって、予期もしない事件であった。
果たして、これだけの大きな事故をリアルに想像した人間がいたのであろうか?
今回に関して僕は事故の専門家でもなければ、マスコミ学の権威でもない。
でも、想像力を使う人間として、疑問に思う部分が1点。


多くの人間が「想像」と「真実」と「事実」を混同して語っている部分が多くないか?


つまり事故という「事実」を勝手に「想像」し、さもそれを「真実」としてジャーナリスト気取りで語る輩が多過ぎる。ライブドアのパブリックジャーナリスト (PJ)に関しても「想像」や「憶測」を平気で垂れ流している「金を払って出来上がったジャーナリスト」がその際だった一例だ。所詮僕がやっているブログに何ら変わりない。むしろ「気取り」がついている人間な分だけ悪質なのかもしれないが。


閑話休題。


さて、今回の事件を僕はあえて「ブログ」「コミュニティ」という立場から様々な情報を見てきた。そこで思ったのは1つ。結局は持論を展開するためには「想像」や「妄想」をいかんなく発揮している人間に限って「真実」とか「事実」なんて言葉を好む傾向にある、なんて気づいたのだ。


脱線事故という「事実」に対して、まず「犯人は誰だ?」という原因追求が起こる。この時点で犯人という「真実」は今現在の時点では究明されていない。今現実にあるのは「事実」のみなのだ。しかし、マスコミやスポーツ新聞の「情報」を勝手に「想像」してしまう輩に限って「この事件の真の犯人は・・・」なんて語りだす。犯人というのは「真実」であって「事実」からでしか導き出せない。なぜ、この時点で人は犯人という「想像」をしたがるのだろうか。それは簡単である。今だ解明されない「真実」の怒りや悲しみの感情の生贄を誰もが欲しがっているからだ。


もちろん遺族や犠牲者にとってはたまったものではない。我々ブラウン管から情報を得るものもそう。この感情のぶつける先を欲しがっているのだ。だから「ゲーム脳」や「無酸素症候群」「社会不適応者」なんて単語が運転士にぶつけられる。しかし、これらはどれも「想像」であって「真実」ではない。また逆に度重なるミスは「事実」であっても、彼が極度のプレッシャーを感じて動いてしまったことは「憶測」であり、その本人でしか理解できない「真実」ではない。


もちろん、そのシステムを作り上げてきたJRに問題はあるが、その過密スケジュールを求めてきたのは我々乗客である。これは「事実」。それに応え、収益を上げていくのが企業の「真実」である。


さて、矛先は行き詰まった。すると今度は恒例の「マスコミ叩き」。これを僕はいい加減にしないか、なんて考えている。よくマスコミ叩きをする人間は「真実が捻じ曲がっている」「事実と異なる演出が」なんてよく言うが、それはその通りだ。人の手が加わっている時点で、強弱はあるにせよ「憶測」「想像」が飛び交うものだ。それを鵜呑みにして「メディアの意義」や「マスゴミ」について議論するべきではない。


我々は手にリモコンを持っていて、新聞を選ぶ選択肢を持っているはずだ。


どうも、ここが見落としがちなのではないか。なぜ、そこで我々はそこで複数のメディアの合致する部分を抽出し、独自で「想像」することができないのか。なぜ「想像」を他者に委ねて、それを批判ばかりしかしないのか。


この時代を生きていくためには、複数の「事実」を重ねて「想像」することが個人に強いられている。我々は、もっと正しい想像力を使うことを求められているのではないか。